バリアフリー・コミュニケーション研究所

吃音者が自由な人生の選択肢を持つことができる社会の実現を目指して多様な観点から考察・情報収集・行動をしていきます

僕が吃音者の実態をどの程度知っているのか

 早いもので、前回のエントリからもう一週間あまりが経過してしまった。下書きばかりが増えていって何から書けばいいのか混乱気味であったのだが、僕はもともと筆が早いほうではないのでご容赦いただきたい。

 

 さて、前回のエントリまでに、僕が掲げる計画の最終目標を示した。予定では、次回のエントリでは、具体的にどのような行動をもってその目標を達成していくかについて、今のところの僕の考えを述べようと思う。「今のところ」と表現したのは、実際に行う内容は、実態を調査しながら探索的に進めていかなければいけないと考えるからだ。

 

 今回のエントリでは、「実態」という言葉が出てきたのでそれに関して少し触れておきたい。とても大事なことだと思うからだ。

 

 実態を調査しながら探索的に進める、と前述したが、この文章を読んでいる方々の心のうちには、「お前は吃音者の実態をどれほど知っているのだ」という疑問が生ずるはずである。もちろん、自らが吃音症持ちなのだからある程度の知識がないわけでもない。しかし実質的には、何かを主張したりする際に有効となるような情報は、「殆ど知らない」という状況である。

 

 なぜなら僕はこれまで、自分の病気について目を逸らすことで、精神的安定を図ってきたと、自己分析の限りでは思われるからだ。だから、吃音に関係する資料の調査や、同じ悩みを抱える人々との交流を避けてしまっていた。何かをしゃべらなくてはいけないという場面でなければ、可能な限りこの悩みから遠ざかりたく考え、そのように生きてきたからだ。このような性質を持つ人が、吃音者の中でどれくらいを占めるのかはわからない。twitterなどで、いわゆる「本アカ」で、自らは吃音であると宣言したり、公の場のスピーチで「自らは吃音を抱えているので、聞き取りにくいのはご容赦願いたい」などと宣言できる方々は、おそらくは僕とは異なる性質で、僕よりずっと勇気があるのだろう。僕はこれまで本当に憶病で、ちゃんと目を向けようと決意するまで35年もかかってしまった。

 

 このブログでは、以後のエントリではまず大目標をブレイクダウンした方策を示した後、様々な調査を行い、 僕自身も初めて知るであろうことを皆さんとと共有していきたいと思う。その調査がある程度まで達することで、目的を達するための具体的行動について、最終的決断ができると考えている。

 

 もちろん、先人たちがすでに素晴らしい情報を集めたサイトを作っていたり、古くから存在する吃音関係の団体には相当の知識や経験の蓄積があることが予想されるが、それはそれとして、僕は僕が考えるアプローチを進めていきたいと思う。このブログではどのような過程で情報を集め、判断し、行動していくのかを綴っていくつもりであるので、見守って頂ければ幸いである。