バリアフリー・コミュニケーション研究所

吃音者が自由な人生の選択肢を持つことができる社会の実現を目指して多様な観点から考察・情報収集・行動をしていきます

僕の吃音遍歴(1)

 twitterおよびこのブログを通してみると、どうも僕は自分自身の情報発信が足りないということに思い至った。そこでこのエントリでは、僕の吃音遍歴、および僕が吃音によって人生でどのような選択をしてきたかについて述べておこうと思う。ただし、吃音症持ちの人生としては、極めて平均的なものかと思われるのでそれはご承知おき願いたい。また、この自分語りは、吃音を自力で克服しようとしつつも中途半端に逃げ回った結果の失敗談である。当然、吃音を見事克服された方も多くおられるので、この記事は反面教師的に読んでいただければ幸いである。

 

 さて、僕が自分の話し方が普通でないと気付いたのは、記憶が間違っていなければ、小学校低学年の頃だったと思う。親が言うには、幼稚園に入るか入らないかの頃から連発型のどもりがあったらしいが、自覚もなければ当時は指摘されることもなかった(なお僕の両親は現在に至るまで僕がどもり癖がある程度の認識でしかない)。気付いた動機は、父親からの叱咤である。僕がどもるたび毎回のように注意されるようになり、自分ではどもっていることがわからないので何について怒られているのか理解するのに時間がかかりひどく混乱した。それで僕は自分の喋り方が普通ではないということに気が付いたのだが、 それでも落ち込むことも気にすることもなかった。

 小学校中学年になった頃、突然隣の小学校の特別学級に週2日位程度通うことになった(通っていた小学校には特別学級がなかったので)。この理由も自分はよく分からなかった。親からの説明もなかった。表現に誤解があったら申し訳ないが、突然知的障害の子供たちの間に加わって活動することになり、率直にいって僕は彼らに恐怖を覚えた。攻撃的な子供もいて、僕はしばしばその対象になった。そこでの半日程度の活動を終えて自分の小学校に戻ってくると、同級生達は一体どうしたんだ、元気なのかと、とても心配してくれたことを覚えている。結局、それが吃音治療のために通わされていたということに大学生に入った頃気付いたのだが、当時は2年ほどで通わなくて済むようになり、それが嬉しくてどうでも良くなってしまっていた。また、この頃、「どもり」を真似されることもあったが、その頃の僕にとってまったく気にやむこともない程度のものだった。

 小学校6年生のときに、はじめてショックな出来事が起こった。20年以上前の話なので詳細は覚えてないが、何らかの事件(といっても小学生にとっての、であるが)が起こり、その犯人はだれか、という話になった。教室の中で起こったことではなく、皆で公園で遊んでいる場面であったと記憶している。そのとき、ある友人が、順番に「お前がやったのか」と聞いて回りはじめた。僕の番になったとき、僕はふつうに違うと答えた。ところが、友人にには「ち、ち、ちち違う」などと聞こえたのであろう。「お前は嘘をついているからそんな喋り方なんだ。お前が犯人なんじゃないか」ということで、僕が結局犯人にされてしまった。

 その事件は結局のところ大したことでもなかったので、すぐに忘れ去られてしまうようなものであったが、僕にとって「喋り方が原因で犯人に決めつけられた」という事実は強く傷として残った。これは私見だが、このような出来事の有無が、吃音が自然治癒するかどうかに影響しているのではないかと僕は考えている。このころから次第に僕は教科書の読み上げなどを異様に気にするようになった。吃音もちの皆が同じ経験をしているように、読み上げるたびに先生や友人に奇異な目で見られた。どもりのものまねも頻繁にされるようになった。それでもなお僕は学校が楽しかったし、友達としゃべるのは大好きだった。

 小学校を卒業し、中学のころになると、連発にくわえ難発型の吃音が生じるようになった。といっても、特定の音が言いにくいとか、自分の名前が言えないとかそういう類のものではなく、とにかく流暢に読み上げができていないということをはっきりと自覚するようになった。僕は周囲から馬鹿にされないよう慎重になり、様々な方法を試みた。このとき、僕は何を参考にしたか忘れたが、かなりこまめに発声を区切ると、普通とはいえないが喋りにくさが低減されることに気が付いた。それで、中学生のころは、たとえば「今日は、とても、いい天気、でした」とうように意図的に区切ることを続けた。すると、中学校を終えるころには、吃音などまったく気にしない程度に回復してしまった。この行為の意味が何かはわからないが、とりあえずそのようなわけで、高校を卒業するまで僕は吃音について悩むことはほぼなくなった。

 無事高校に進学し、友人たちと交流しながら、大学受験も終えた。受験の面接のとき、久々にやたら緊張し、どもりまくったことを良く覚えているが、それでも僕は自分が吃音であること、あるいはあったことを忘れていた。

 

 そして、決定的な出来事が僕の身に降りかかった。高校の卒業式を終え、大学入学を目前に控えたころ、僕は中学時代の友人に電話をした。友人の母とも懇意で、しばしば連絡を取り合っていた友人であった。いつもどおり僕は電話をかけ、何コール目かで友人の母が電話に出た。その時であった。なぜか言葉が全くでてこない。「もしもし?」と受話器の向こうで友人の母が不審そうに繰り返し聞いてきている。僕は、とにかく焦り、なんとかして自分の名字を言おうと力を振り絞った。「あ、あ、あの、えっと」という感じの発話を2分ほど続けたあと、ようやく名前をいうことができた。なぜ急に吃音が再発したのか、何が原因なのかと考えながら、とにかく強いショックを受けた。その後の友人との会話は覚えていない。友人からは、友人の母が僕の様子がおかしいと言っているとも聞いた。それがきっかけでその友人(というか旧友全般)と連絡を取るのをためらうようになった。結局次にその友人と会話をしたのは今から数年前、実に20年ぶりのことであったが、その時も「そういやあのとき変な電話があったなあ。いったい何があったんだ」と心配された。僕は事情を説明し、お互い大人で、幸い介護関係の職についていたその友人はすぐに理解を示してくれた。それはともかくも、僕にとって、そのような衝撃的な出来事のあと、僕の大学生活は始まった。それと同時に、僕の吃音の症状は急激に悪化していった。

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長くなったので次回に続きます。就職関連の記述についてもおそらく次回になります。繰り返しになりますが、吃音症持ちの方にはよくある話だとは思いますが、何かの参考になればと思って書いていますので、引き続き宜しくお願い致します。