バリアフリー・コミュニケーション研究所

吃音者が自由な人生の選択肢を持つことができる社会の実現を目指して多様な観点から考察・情報収集・行動をしていきます

僕の吃音遍歴(3)

 なんだかんだ長くなってしまいました。前回の続きです。

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 当時、仕事としてとても気に入っていた接客業を生業とすることをあきらめた僕は、いくつかの選択肢から進路を選ぶことになった。

  1. 普通に就職活動する
  2. 大学の推薦で就職する
  3. 大学院に進学する

 僕の出身大学の知名度および90年台終盤という時代背景から、推薦による就職は学科の6割と超える程度だったと記憶している。つまり、そこそこ真面目に大学に通っていれば大手企業への就職はある程度約束されているような状況であった。しかしながら前回のエントリで書いたように、僕は大学生としては非常に不真面目極まりない人間だった。従って、普通に考えれば、「1.普通に就職活動する」を選択するしかない局面だった。しかし、僕が選択したのは「3.大学院に進学する」だった。

 僕の学部は理工系であり、3年後期で研究室に配属されるのだが、思いのほかこの研究室生活は楽しかった。先生や先輩、そして同期に恵まれていたということもあるが、何よりも、具体的な目標を持って勉学に励むことの楽しみを、このとき初めて知った。個性豊かな人が揃っていて、僕の吃音を指摘する人は誰もいなかった。しかし、やはり2年にも及ぶ怠惰な学生生活は自身の能力に相応なダメージがあり、自業自得とはまさにこのことだが、そのダメージはコンプレックスとなっていまだに引きずり続けることになっている。当時の僕は、「なぜ真面目に勉学に励んでこなかったのか、いやしかし自らの吃音を克服し、人生を充実させるためにはああするしかなかったのではないか」と葛藤し、結局「今からでも遅くはない」と判断して大学院に進学することにした。成績は学科でも最低クラスだったので、院試を受けた。正直かなり苦労し、本当なら落とされて当然な結果だったように思えたが、何故か合格だった。個人的には、面接時にこれまであったこと(吃音のことは除く)をすべて話し、今からやり直し、社会に出るに当たって悔いなく勉学を修めたいと教授陣に頭を下げたことが効果的だったのではと考えている。勿論、冷ややかな目でみる先生方もおられたが、温かい目で見てくださるかたもおられ、結果僕は大学院に進学することになった。

 しかし、敢えて書くが、このとき僕の心の片隅に、就職活動から逃げるという気持ちがあったことは否定できない。バイト三昧の大学生活を送り、これから失った時間を取り戻すなら、奨学金を借り、親に頭を下げ、進学するのも悪い選択肢ではないはずだ。でも僕は真面目に就職活動する選択肢も十分に考えられたのに、ある意味進学を理由に全く就職活動しなかったのは事実だ。

 

 ともあれ僕は大学院に進学し、研究活動に打ち込んだ。しかし、2年間の遅れを取り戻すのは本当に困難で、数学や物理、電子回路の分野など、ついていけないことがしばしばであった。難しい研究テーマであったので、その変更を望んだこともあった。それでも先生から「やり始めたことは最後までやり通すのが大事なんだ」と諭され、「お前は真面目だけが取り柄だな」という言葉をいただけたことに奮起し、大学院1年である程度情況を改善することは出来たと思う。

 大学院2年になった頃、また就職活動の時期が訪れた。僕は正直、ここでも逃げた。厳密に言えば、逃げ道を探した。当時、ある程度の技術があればそれなりの待遇をもらえた学生派遣に登録し、あるベンチャー企業で学生派遣社員として働き始めた。研究との両立はなかなか大変であったが、金銭面でも苦労していたし、この選択は間違っていなかったと思う。しかも、学生派遣ということで裏の作業が多く、面接時も含めて吃音が大きな問題となる場面もなかった(学生派遣だし緊張して当然、くらいに見られていたし、仕事が限定されていたので吃音は問題にされなかった)。僕は結局その環境に甘え、幾度か就職活動を試みたが、グループディスカッションなどでうまくコミュニケーションが取れないことに嫌気がさし、「別に問題がないならばこの会社に就職すれば良いじゃないか」ということでその会社に就職することを決めてしまった。僕はそれなりに評価されていたらしく、会社側としても大歓迎ということで、結局このときもまともに就職活動しないまま道を決めてしまった。

 

 大学院も無事卒業し(発表などでどもりはしたが、接客業のアルバイトの成果もあってか、あまり苦にした場面はなかったと憶えている)、いよいよ僕の社会人生活は始まった。次がおそらく、この自分語りの最後の記事になるが、とりあえず僕がこの一連の記事で伝えたいことは、逃げた結果選んだ道は、あくまでも逃げた先でしかなく、決して「選択した道」ではないということだ。正面から逃げずに、多くの選択肢を探し、その中から選んでいくのが人生の正道であり、逃げた理由としてうまい言い訳を探して自分の人生をいくら納得させようと、正当化させようとしても、結局はどこかでしっぺ返しをくらうものなのだ。

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ちなみに、逃げることそのものは悪いことではないと思います。しかし、逃げ続けるのではなく、どこかで自分自身と向き合うべきだったのだと反省している、という話ですね。

次回に続きます。