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バリアフリー・コミュニケーション研究所

吃音者が自由な人生の選択肢を持つことができる社会の実現を目指して多様な観点から考察・情報収集・行動をしていきます

僕の吃音遍歴(4)

3週間以上間が空いてしまいましたが、前回の続きです。いくら書き直しても自己陶酔的になってしまうなあと思って、何度も何度も書き直し、結局数日かかってしまいましたが、なんとか書き終えました。そして、書き終えた後、さらに何日もかけて読み直していたら、結局1週間以上もかかってしまいました。申し訳ありません。

修正したい箇所はたくさん残っていますが、あまり時間をかけても仕方がないので…とりあえずこれで自分語りは最後です。宜しくお願いいたします。

 

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前回のエントリの終盤で書いたように、なんだかんだ言いながら僕は殆ど就職活動もせずにベンチャー企業に就職することを決めた。ここで、誤解がないようにあらためて強調しておきたいのだが、このような進路の選択の仕方、それ自体は悪いことだとは決して思っていない。なんだかんだ理由を付けて、自分の抱える問題から逃げ続けるための道を選んできたことすらも、それはそれでうまくいくのなら十分アリだと考えている。本質的な問題は、それでうまくいかなかった時に、後悔し続けてしまうことなのだろう。たとえば、プライドを守りながらも問題から目を逸らし逃げ続けるなど、中途半端が一番良くないと思う。僕はまさにその中途半端な生き方を続けてきた。

 

さて、僕が就職した会社は、ベンチャーといっても業界ではそこそこ有名で、大手企業との取引も多くあった。僕の仕事は、学生派遣の頃は、客前には出ない裏手の技術職だったが、正社員になるとそれに併せて客先に出ることも増えた。客先での仕事は、技術部が作成した報告書をもとにプレゼンすることで、プレゼンの相手は大企業から零細企業までの、技術担当やときには経営者に対してであった。実は、これ自体は僕はあまり苦手としていなかった。特定の言葉を言わなければならない状況でなければ、自由な発話が許容される状況であれば、どもりながらもそれなりに苦しまず言葉を発することができたからだ(発しにくい言葉を避けやすいという理由もあるし、その理由からくる精神的余裕が、僕の苦手意識を軽減させたのだと思う)。

で、僕が苦にしていたのは、典型的だがやはり自分の社名と名前が出てこないことだ。顧客訪問の際に自分を名乗るときもそうだし、電話をとるときもそうであった。何度も何度も、それこそ年に何百回も、現場で僕は自分の会社名と自分の名前をある程度スムーズに発することを試みた。いや、試みなければならなかった。しかし一度たりともうまく言えたことはなかった。「えーと」を3,4回くりかえしたあと、絞り出すように名前を言うのが限界だった。そのたび、大局的に考えれば本当に些細なことなのに、数日間その失敗ばかりが頭を埋め尽くした。ノイローゼになりそうな毎日だった。

 

僕は失敗したと感じるたびにそのことをくよくよと考えた。プレゼンするときも、会社に戻ってからも、打ち合わせ中も、延々とそのことばかり考えていた(今思えば、その状態でよく通常業務に支障をきたさなかったものだ)。僕がどもっているとき、相手はどのように感じているのだろう。たとえばある会社に電話をかけてみる。相手がでるとどうも様子が変で、「えーと、えーと、えーーーーっと、えーーーー、あ、あ、株式会社〇〇の、えーと、えーと、えーと、〇〇です」などという返事が受話器の向こうから聞こえてきたらどう思うだろう。思ったほど相手は気にしていないよ、なんていう慰めの言葉を世間では良く聞くけれど、さすがに程度というものがあるだろう。度を過ぎれば、流石に「変だな」と思うに決まっている。僕はそういったことを、寝ているときを除き、ほぼ延々と考えるようになった。それと同時に、吃音さえなければもっとスマートに仕事がこなせるのに、社内の評価ももっと変わるのに、そういったことばかり考えるようになった。大学の友人と飲みに行き、仕事の話をするときでも、僕は後ろめたさばかり感じていた。世の中には、華麗にトークをこなしてこそ成り立つ仕事が多くあって、えてしてそのような仕事のほうが世間からの評判も、生活の質も高いと思っていた(今もある程度思っている)。そのように当時の僕は考え、劣等感を覚え、自分の生まれつきとも言える障がいに落胆した。

 

でも、よくよく考えれば、そいう精神状態になるのも必然であったろう。結局のところ、それまで自分の病気と向き合わず逃げ続けてきたということは、吃音である自分を知られたくない、吃音の様子を見られたくないという気持ち、プライドの裏返しではないか。ところが、逃げ続けた先にあったのは、逃げようのない「吃音者である自分を見られる場」だった。そんな未来すら想像できないくらい、僕はその場その場の問題から逃げることだけに必死だったのだから、今考えれば本当に滑稽な選択だった。しかも、吃音ではなくて、単に「酷いアガリ症の奴」だという誤解を受けるときている。これは、逃げることで高いプライドをなんとか保ち続けてきた自分にとって、精神的に堪らないものがあった。何度も、「これからもずっと吃音という病気の存在は理解されるわけはないのだから(一部の上司は僕の苦しみは理解はしてくれたが、病気については結局殆ど理解していなかった)、アガリ症のやつなのだというレッテルを張られ続けるという覚悟を決めよう」と思ったけれど、高校の終わりから6年もの間逃げ続けてきた僕にとって、毎日毎日朝から晩まで吃音の自分をさらけ出しながら、スパッと発想を転換するのは至難であった。

 

入社2年目の時点で、部署の直属の先輩が退職してしまい、僕はチームのリーダーを任されることになった。これはそれなりに仕事を評価されているということだろうが、仕事そのものの評価と、スムーズなコミュニケーションが取れないという自己評価、周囲からのレッテルとのギャップに僕は苦しんだ。どんなにうまく仕事をこなしても、ぬぐいきれない、なんだかどろどろとした後ろめたさや劣等感、吃音者だからという理由だけでなぜか必要以上に下手な態度出てしまう自分、ミーティング中に議論になると、子供のころのように、虚勢をはっているからどもっているのだと周囲は感じてるのだろうな、と思いこんでしまうこと、そういった出来事すべてが自分にとってストレスだった。

 

そのような状況で4年半ほど働いた結果、僕はマネージャークラスにまで昇格し、20代半ばにしてはそれなりの待遇を得ることができたが、ストレスと過労で、肉体的な病にかかり、結局退職する道を選んだ。

 

その後、僕は大学に戻ることにした。理由を簡単にいえば、社会貢献につながる仕事をしたいと、この頃人生で初めて強く思うようになっていたのだが、自分にはそのスキルもノウハウもないことが良くわかっていたので、かつて中途半端で終わった学問の道を再び志すことにしたのだ。そして、ここでも相変わらず中途半端に吃音に少なからず関係するような研究を続け、しかし決してその領域に踏み込むことはないという逃げ腰な態度を続けた。

社会人になったころのようなそれなりに強靭だった精神力はなく、体力はどんどん衰え、2年ほど、(おもに肉体的な衰えが原因で)月の半分くらいを布団の中で過ごすことを余儀なくされながらも、任期付きや非常勤の仕事を続けながら、苦しんで学位を取得するための研究活動を続けた。(余談だが、吃音で精神力が削られる→肉体的ストレスに転化する、ということを僕は嫌というほど思い知らされている)

体調を崩した布団の中でスマートフォンをいじり、同期の活躍をfacebookなどで見るたび、どうせ吃音で苦しむなら、どうしてもっと最初からそれと向き合い、いくつもの場面で真剣に意思決定をしてこなかったのだろうかと涙を流すこともあった。そうでなければ、このようなみじめな思いはしなかったのではないか。ここまでストレスをためこみ、悪循環の連鎖で人生が落ち込むことはなかったのではないか。そういった後悔の念ばかりが頭を埋め尽くす毎日が続いた。

 

その状況下で、あるとき、高熱を出して寝込んだいたとき、呆然と天井を眺めながら僕ははじめて思った、というか覚悟が決まった。このまま、この吃音という病気に振り回され、負けるくらいなら、もうこの病気から逃げることはやめようと、30代も半ばにしてようやく思うことができたのだ。結局、人生の選択肢で迷い続けた、後悔し続けてきたのは、すべては吃音からくるストレスが原因ではないか。吃音から逃げ続けてきたという自分自身の選択が、今の自分の状況を招いたのではないか。それなら、これからは、正々堂々と吃音と向き合うことにしようではないか。そして、できることなら、同じ苦しみを味わう若い人たちが減るよう、なにか社会を変えることができる活動を、小さいながらも始めていく。それがこれまで逃げ続けた自分を乗り越えることではないのか。そのように考えて、まず吃音にはじめて向き合うために、このブログやtwitterを始めることにしたというわけである。

 

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これが現在に至るまでの僕の吃音に関わる遍歴です。何かの反面教師になって頂けたら幸いです。

もっと細かいこと、たとえば恋人とのやりとりで理解されず苦しんだとか、色々な治療法を試したとか、沢山エピソードはありますが、大筋のみを語るにとどめました(それでも長すぎだと思いますが)。それにしても、人生の選択の様々なタイミングで、何をどうすれば正しかったのか、未だにはっきりとは分かりません。今も「吃音さえなければ、あの人やあの人みたいに、素敵な仕事ができるんだろうなあ」と考える毎日です。だからこそ、今僕が一番やりたいことは、吃音者が人生の選択をもっと自由にできるような、そのような社会を実現する契機となるための何かなのです。それが自分にとってもっともストレスがない選択であることに気づきました。

 

とりあえず自分語りは一旦これで終わりです。自分のバックグラウンドは一通り述べたので、次回以降のエントリでは、具体的なこれからの考えについて述べていきたいと思います。